鶴見祐輔伝 石塚義夫


鶴 見 祐 輔 伝

石 塚 義 夫

(随時更新中 最終更新日:2019年2月18日「第2編 職歴 第4章 著述家 第2節 著書の紹介」まで)

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編著者紹介
目次

 序

 今日多くの人々は、鶴見祐輔の名を知らないであろう。
 鶴見祐輔とは、社会学者鶴見和子・哲学者鶴見俊輔の父で、政治家であり著述家であった。戦前永井柳太郎とともに日本を代表する二大雄弁家の一人であった。昭和48年に88歳で逝去している。
 私は15歳(昭和25年)頃から今日まで約60年間鶴見祐輔の著書や新聞・雑誌の関連記事を収集してきた。私の収集活動は戦後であったので、殆どの著書が絶版になっているため新刊本屋では買うことができず、職業別電話帳で知った東京中の古本屋を探して歩いた。
 国会図書館と大宅壮一文庫からは、新聞・雑誌の関連記事を収集した。同志の城戸祐子氏は、「神戸新聞」に連載された小説「七つの海」(単行本になっていない)をコピーしてきて私に下さった。藤原書店の刈屋琢氏からは、「安場咬菜・父母の追憶」(安場咬菜、本名保和は、後藤新平の妻の父)のコピーを頂いた。
 私は現在までに単行本は39種、54冊(例えば『後藤新平』全4巻は4冊と数える)集めた。あと邦文著書3冊、英文著書3冊が未入手である。
 今日では古本屋や古書展を見て歩いても、これらの本の入手は不可能に近い。私は自分の死後これらの著書、新聞雑誌の記事の切り抜きやコピー、そして私が書いた「鶴見祐輔伝」原稿を国会図書館憲政資料室の鶴見祐輔文書に寄贈する予定である。
 私の青春は、苦学と鶴見祐輔の著書の収集・読書に費やされた。私は鶴見祐輔の本で人生と社会を学んだ。
 私はこの60年間、鶴見祐輔伝の出現することを待ち望んだ。だがそれは遂に実現しなかった。私も既に75歳である。素人が下手な文章を書くことの非は承知の上で、私は隗より始めたのである。それは400字詰原稿用紙2,744枚(後に2,343枚に圧縮)に及んだ。それを全部本にすると5冊くらいになる。
 そのうち第2編第4章第1節の著作目録と第4編の詳細年譜の主要部分を収録して、『鶴見祐輔資料』という書名で平成22年12月に自費出版した。国会図書館はじめ全国の主要図書館899個所に寄贈してある。
 これは客観性の高い部分で、筆力の稚拙は関係なく、後世に鶴見祐輔伝を書こうとする者の良き資料となることを確信する。
 有力な筆者による鶴見祐輔伝の出版は、全然希望が無いわけではない。例えば「鶴見祐輔と河合栄治郎」の筆者である和光大学の松井慎一郎先生は、鶴見祐輔ら新渡戸・内村門下の社会派官僚に光を当てようと試みておられる。また、鶴見祐輔にとって関係の深い後藤新平(岳父)、新渡戸稲造(師)、河合栄治郎(親友)、加藤シヅエ(長姉の子)、鶴見和子(長女)、鶴見俊輔(長男)について論じ、伝記を書く時には、鶴見祐輔が必ず登場する。
 南方熊楠が鶴見和子によって発掘されたように、鶴見祐輔を発掘する人が必ず現れるに違いない。彼ほどの偉材がこのまま永久に埋もれてしまうはずがない。
 日露戦争直前に八甲田山で、軍隊の雪中遭難があった。その時救急隊の目じるしになるようにと、後藤房之助伍長が死力を振り絞って積雪の中に立ち尽くした。
 数十年後、あるいは百数十年後に、私より遥かに文章力の優れ、ネームバリューと豊かな経済力のある人が、鶴見祐輔の存在を知り、その発掘を試みる時、拙者が後藤伍長の役目を果たしてくれることを祈っている。

 このたび私の子息が、『鶴見祐輔伝』のホームページを開設し全文の入力に挑戦することになった(随時更新中)。これを閲覧した方々が、鶴見祐輔を知り、さらに彼の著書を読もうとされるならば私にとってこれ以上の喜びは無い。今では鶴見祐輔の著書は、古書展で稀に入手できる程度であるが、国会図書館はじめ各地の主要図書館にはかなり保存されている。
 後藤新平伝、後藤新平論を書かんとする者は、必ず鶴見祐輔著『後藤新平』全4巻を参考とせざるを得ない。この書は訳書『プルターク英雄伝』全6巻とともに不朽の名著である。
  平成23年2月
石 塚 義 夫

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